考える必要はないんやなぁ
2017/05/13
母の日のプレゼントとして、母を連れて台湾に行ってきた。
3年ぶりの海外旅行!
考える必要はないんやなぁ
台湾の空気に触れると「普段は色々なことを考えているけど、結局何も考える必要はないんやなぁ。」ということが腑に落ちた。
今までは「自分を向上させたい!そのために何かしなくちゃ!」という脅迫観念のようなものや、「お金稼がなくちゃ!」という漠然とした不安だったり、過去に対する慚愧の念であったりと、様々なことを考え続けてきた。
でも、考えても考えなくても、目の前にある課題をこなしていくだけで、自己は向上するようになっているし、お金に対する不安がなくなれば、現実的にもお金の不安もなくなるし、辛い過去に入り込んで辛くなるより、テレビを観るように「ふーん。そんなこともあったね」と俯瞰する方が楽だしストレスも掛からないし。
だって、そんなの問題じゃないのだもん!!
むしろ考えない方が自然体でストレスもなくなり、状況は好転する。
西洋的な解決方法では、原理的に、問題を解決することができない。
「なるほど。この問題の原因は、『A』が理由だったんだね。 おっけー、わかったよ。 でもさあ、じゃあ、なんで『A』があるの? え?『B』が原因?あ、そうなんだ。 じゃあ、なんで『B』があるの?」 と、次から次へと疑問と問題がつむぎ出される。
それは構造的に決して終わることがない。
それに比べて、東洋哲学は、完璧だ。
ようするに、 「おれって、なんでこうなんだろう。うまくいかないんだろう。 ああ~、大問題だ~」 ということを、 「いや~、全然、問題でもなんでもなかったわ! オレ、なんであんなに悩んでたんだろ!」 としてしまう。
その人にとって、「そんなもの問題ではなくなった」のだから、 本当にそれで「問題は終わり」なのだ。
あとは問題のない素晴らしき人生を満喫! ビバ!東洋哲学!
ただし、東洋は、そのおかげで、 「なんで月は地球の周りをまわっているのか?」とか、 そういうことについて、誰も問題だとは思わなかった。
だから、東洋は科学が発展しなかった。
だから、東洋の生活レベル、知識レベルは低い。
だから、東洋は貧しい。 でもでも、それでも別にいいんです!!
だって、そんなの問題じゃないんだもん。
考えて考えて考えて、結論は「考える必要はない」だ(笑)
だって、そんなの問題じゃないのだもん!!
哲学的な何か、あと科学とか
だって、そんなの問題じゃないのだもん!!
- 思考の焦点を変える
- 過緊張を乗り越えた経験に焦点を当てる
- ストレスなく動けた経験に焦点を当てる
- 何もしたくないなら、何かしたくなるまで待つ
- 統合失調症からの回復:俯瞰的な視点をもつ
- 基本的にネガティブに焦点を当てる
- ネガティブに焦点を当てる必要がなくなるとき
- どう感じるかは自由意志で決定できる
- どの回路を閉じ、どの回路を開くか選択する
- どんなときも内観・内省を忘れない!
- 「今」に焦点を当てると考えすぎないで済む
- 心理的なバランスを取ることを意識する
- 面倒な気分
- 面倒じゃないときにすればいい
- 終わらしてスッキリした気分に焦点を当てる!
- 東洋哲学
- すべての問題は取るに足らないもの
- 考える必要はないんやなぁ