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統合失調症は治る病気です。


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弾琴の喩え「絃を強く張ってはよい音は出ない」

2013/05/19

今日は3件の法要を任された。

対外的には住職である兄の体調不良だが、実際のところは最近はまっているダーツに明日のことを考えず夜通し楽しんで集中したいからだそうだ(笑)

「俺はプロになる」って(笑)

塾に来ている中学生から「ダーツの練習するより、お経の練習をした方がいいよ」と、その通り!って思うことを言われてたけど(笑)

 

最近は勤行のストレスが以前と比べるとだいぶ少なくなってきた。

僕は真剣になりすぎて集中しすぎてしまうところがある。

それが「力をフッと抜く」ことや「社会的な成功やお金は、少し鈍感なレイヤーにある」ことを学んで、今までは集中してしまう方向にだけ自分を高めようとしていたんだけど、むしろ鈍感な方向にも自分を拡大しようと思うようになったことで、心理的なストレスが少なくなったことが大きい。

弾琴の喩え

統合失調症から回復したいと思う多くの人はより繊細なレイヤーに入っていこうとしがちだけど、それは喩えると「張りすぎた絃」だ。

仏教の教えに弾琴の喩えというのがある。

ある時、仏陀は、マガダ国の都ラージャガハ(王舍城)のほとりのギジャクータ(霊鷲山)におられました。そのころ、近くの淋しい森で、ソーナ(守篭那)という一人の比丘が修行を続けていました。

彼の修行ぶりは、大変激しいものでしたが、なかなか悟りを得ることができなくて、悩み苦しみ、この道を捨てて世俗の生活に還ることも考えるようになりました。

仏陀は、彼の心の迷いを知って、彼を訪れ、その心境をただしました。彼は、あるがままに、その思うところを打ち明けました。

仏陀は、彼が、以前、琴を弾くことが上手であったことを思い、 「ソーナよ、琴を弾くにはあまり絃を強く張ってはよい音は出ないであろう、また、絃の張りが弱すぎてもよい音は出ないであろう、ソーナよ、仏道の修行も、まさにそれと同じであり、刻苦に過ぎては、心たかぶって静かなることが出来ず。弛緩に過ぎれば、また懈怠(けたい)におもむく。ソーナよ、なんじは、琴の音を調える時のようにその中をとらねばならない。」

統合失調症を発症した人はちょっとしたことに過敏になっている人が多いから、少し力を抜いて張りつめている絃を少し緩めてリラックスしよう。

ぽちっと押して下されば元気がでます。特にはてなブックマークで元気爆発します(笑)
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