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統合失調症は治る病気です。


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統合失調症を発症したやり場のない怒り
~ 僕の根源にあるトラウマ ~

2012/12/21

心の中に抑圧された怒りがあったのか、「殺してやる」とか「死ね」とか「ざまぁみろ」みたいな想念が自然と浮かんで来ることが多かった。

病状の酷いときは1人でベッドに横になっているときに「コロシテヤル!」や「氏ね!」と強い口調で自然と口が動いて言葉にしてしまっていた。

病状が安定するにつれ、徐々にその気分は少なくなってきたのだけれど、お風呂場のタイルに根を張ったカビのように、心の奥からその想念が消えることはなかった。

「なぜこの抑圧された非常に大きな怒り」が自分の中にあるのだろうと常に疑問に感じていた。

この心の動きは人間としてどうかと思うから。

 

数日前、僕が幼少時のトラウマを解決した後、兄がベル麻痺と呼ばれる半身が少し麻痺する病気になってしまった。

正直にいうと、心配する気分が9割「ざまぁみろ」気分が1割のブレンドで湧いてきてしまった。

幼少時のトラウマを解消したことと兄の病気を契機に、もう一度自分の心を深く見つめ直す機会になった。

 

僕の「コロシテヤル」「氏ね」「ざまぁみろ」という感情が生まれる理由は、父が統合失調症を発症して暗い幼少時を過ごさざるを得なかったこと、又僕自身が統合失調症を発症したという「やり場のない怒り」が根底にあるようだということが分かってきた。

統合失調症を発症した患者は、僕も含めてだけど基本的に病識がない人が多いから、抑圧されたやり場のない怒りをどこかに向けやすいのだと思う。

家族であったり医師であったり病院であったり社会であったり会社であったり人であったり・・・。

 

「やり場のない怒り」をそのまま、心の奥にしまっておくと病気は回復しにくい。

それは統合失調症だけではなく、ガンでも脳梗塞の後の半身不随であっても、あらゆる病気に共通していえることだと思う。

 

そういう話を母にしたら「病気になってしまったときは、仏様が休みなさいって言ってると思うことよ」とアドバイスをくれた。

病気になってしまったことに「やり場のない怒り」を感じてそれを現実世界に投影しても、生きづらくなり回復から十のおいてしまうだけだ。

病気になったことは「しょうがない」と観念を変えるだけで心は癒やされるし、周りの環境も望むものになるし、何より病気からの回復は早くなる。

 

「しょうがない」と諦めること。

「諦める」とは「明らめること」。

そういう穏やかな心の境地に立つと、より穏やかなヒカリの世界に近づくように感じている今日この頃だ。

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