苦しい「努力」ではなく楽しく「遊ぶ」感覚
2014/01/21
今までは心のどこかで、仕事をしたり能力を高めたりすることは、多少なりとも苦しみを伴った「努力」が必要不可欠なものだと考えていたように思う。
しかし、僕の場合はあまりにもストイック過ぎたんだろう。
強靱な精神力で苦しみながら「努力」をした先にあったのは、統合失調症という病気だった。
あまりにもストイックな努力をすると、心を病むか、体を壊すか、現実が崩壊するか、そういったネガティブにしか辿り着かないのだと今の僕はある意味では確信をもって伝えることが出来る。
人から見たら鬼気迫るような努力をしている人がこの世界では成功しているようにも思うが、そういう人は、努力してなんらかの楽しみを見いだしているのだと思う。
それが名誉欲を満たすものだったり、異性にもてることだったり、金銭欲を満たすものだっりたり、人を喜ばすことだったりと人によって違うだろうが、努力した分だけの心理的報酬は確実に得ている。
僕の場合は、完璧主義なところがあって、いくらストイックに努力しても、もっと上のレベルと比較して1mmたりとも満足することはなかった。
「楽しさ」はすべてを変える
今年で四十路ということもあり最近は今までのような仕事のやり方に年齢からくる体力の衰えで、同じようなペースではやっていけなくなるのではないかと感じていた。
そして、仕事や能力を高めるのは苦しみを伴ったストイックな「努力」ではなく、どちらかというと楽しみながら「遊ぶ」ことじゃないかと、仕事に対する意識を変えてみた。
すると面白いことに、今まであんなに苦しかったことが楽しくなったんだ。
楽しいから、時間を忘れて、好い作品が生まれるんだ。
1つ変わるということは全体が変わるということと同義で、生活のすべての面に於いて好転してきた。
今までずっと付き合ってきた「うつ」が来なくなったり、起きた後の絶望感・うつ・気分の重さなどがなくなったり、人間関係がスムーズになって、結局自分が本当にありのままの個性を発揮すると人と調和して嫌われることはないと腑に落ちたり、今まで自律神経失調症気味で空腹を感じなかったのがお腹が減って食欲が出てきたりと、ちらと考えただけでも、すべての面でレベルアップしたように思う。
尊敬する僧侶の大先輩がいつも僕らに伝えていることがある。
「楽しいと思わないと伸びないよ」と。
どれだけ研鑽を積んだらこの苦しい修行を楽しいと人に伝えられるような境地に立っているのだろうと、畏敬の念を抱いていた。
仕事は楽しい「遊び」なんだよ。
本来の自分の個性を100%発揮するためにあるのだよ。
100%ありのままの自分になれるとすべてが調和してくるよ!
そういうことがおぼろげながら分かってきて、だんだんと人に伝えられるんじゃないかと思う今日この頃だ。
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